今日はうんちく。
雑草ってのは、自分が植えて眺めたいか収穫したい植物以外の草を指す。排除しなければいけないものとカテゴライズしてしまうと実にやっかいで心折れることもしばしばだと思う。最近建てられている建売は雑草対策でコンクリを打ってしまうエリアが多くて、雑草より駆除しずらいコンクリの方が割に合わない気がする。
そもそも植物と向き合うのは人類の進化の過程で長い事やってきた。だからこのコロナ出禁時代にガーデニングは人気があって、人類が何百万年も喜びを感じてきたその瞬間をガーデニングで再体験すると、メンタルに良いってのは簡単に想像できる。人類が長い歴史の中で生き延びるための食べ物は、スーパーではなく地球からもらってきたのだ。
アタシはガーデニングを始めて半年だけど、一番初めに思ったのは
土は地球からの贈り物である。
この土から植物が採れて、それを食べてここまで生きてる。もちろん地球は人類だけに土を提供しているわけではなく、すべての動植物がその恩恵を受けている。
その土がある限り生えてくる雑草はもはや邪魔者ではなく、同志だ。大げさかwwww
1.雑草の生態を知る
あと、よく雑草のように強く生きるとか言うけど、実際は雑草はものすごく弱い。弱いから数で勝負してくるだけだ。
種をまいた時の発芽の条件があるように、雑草も生えてくるのに条件がある。
水と土
水と土、この二つがそろうと確実に雑草が生えてくる。土を耕すと何年も前に埋まっていた雑草の種がいとも簡単に発芽する。中には日光が必要なのもあるけど、土があってたまに雨があたるところは雑草が芽を出すので、この二つの条件のどちらかを排除すれば雑草は生えてこない。
ところが、地球の上に住んでいればこの二つを排除するのは難しいし、そもそも人間もこの二つが必要だから始末が悪い。
上記のコンクリを打つのは水と土の両方を排除した形であり、動植物には致命的だ。でも忘れてはいけない。人間も動植物に含まれる。だから、アスファルトやコンクリで土をカバーした結果、ヒートアイランド現象とか光化学スモッグ、花粉症なんかで人間は苦しむことになった。
うわー自分めんどくさいなぁwww
2.雑草と戦う時の心構え
雑草を排除するには武士道で言うところの礼儀・礼節をもって戦うことをお勧めする。
よく、カタバミがあちこちで目を出しているのを見ると、こいつは何を目指しているんだ?世界征服か?世界征服なんだな!!!!??と思うことがある。あの芽の出し方は世界征服を目指していなければ到底できないだろう。
雑草はいちいち生死がかかっている。日陰でも、固い土でも関係ない。生きることが目的で、適当に生えてきているわけではない。
かたやアタシは雑草が生えても死なない。脳内にイラっとする物質が一瞬出るだけで、基本的な生活に特に支障はない。せいぜいお気に入りの植えた植物が雑草にエリアを奪われて悲しいとかその程度。
では、生死をかけている相手に対して戦いを挑む時に、何が礼儀なんだろうか。武士であれば同じように生死をかけるべきである。
また自分がめんどくさくなってきた。まぁ、とにかく雑草は命がけなのだから、むきになって戦うべきではなく、共存の方法を模索するのもまた武士らしいと思う。
3.雑草と仲良くなる方法
ゾーニング(区切る)
雑草もその存在意義を果たすべく、この世に生きないといけない。だから、根絶は難しいと考えて、雑草さんたちが暴れていいエリアと侵されたくないエリアを区切る。侵されたくないエリアに進出してきたら、死んでもらうw
雑草が生えてほしくないエリアは土か水を絶てばいい。コンクリ、砂利、防草シート。人間は景観を大切にするために色々開発してきた、発達した脳に感謝。
雑草を育ててみる
雑草とそうでない植物の境界ってのはそこそこあいまいで、生えてほしくないとかその程度である。高麗芝が雑草だったら、あれほど駆除がめんどくさい植物もないだろうと思ったりする。
雑草がワサワサ生えてしまったら、「うちの庭は雑木風なのよ~~」と思えばいい。自然の形をそこに再現しているだけだから。雑草が伸び伸び生えているのをみて、幸せを感じれるとき、仏陀(悟りし者)へ一歩近づいたと思って問題ないと思う。
4.結論
人類にとって邪魔だからと言って、地球上の動植物を科学的に根絶をはかろうとするとそれこそ枯葉剤とかのちに人類にしっぺ返しがくるというのは過去に学んだことだ。地球上の小さなエリアを自分の思い通りに操ろうと躍起になることは、少し度が過ぎていて地球の怒りを買うことになりかねない。この球体の上で生活させてもらっている者同士だと考えて、生きようとしている雑草に敬意をはらえればいいよね。
毎日こんな風に考えられればいいんだけど、ぶっ殺す!!って思う時だってあるわよ。